レポート課題①【自分の好きな映画】「シャイニング」

キューブリック『シャイニング』(1980)

  今、戸口の視野が突然、すべるよう  に横に   回転し、ガンスリンガーは軽いめまいを覚えた。──が、エディはそのすばやい視野の移動に、奇妙にも心和まされていた。──ガンスリンガーは映画を見たことがない。かたやエディは数え切れないほど見ている。いまエディが目にしたものは、「シャイニング」や「ハロウィン」で使われたことでおなじみの主観移動ショットのようなものだ。機器の名前も知っている。ハンディカムだ。(38頁)

  これはスティーブン・キングの小説『ダーク・タワーⅡ(下)』からの一節である。私はこれを目にした時、おやっ、と思った。それは、ひとつは『シャイニング』を見たら感じる独特の視点移動のあの感覚が、的確に文に表されていることへの感嘆である。しかしあともうひとつ、あのスティーブン・キングが(明らかにキューブリックの映画の)『シャイニング』を、自身の小説に挙げるとはありえない、という驚きからである。
『シャイニング』は、いわく付きホテルに家族と住むことになった男が狂気に囚われていく話である。息子は「シャイニング」という超能力によって、その惨劇の予兆を度々見ていた。血の噴き出るエレベーターといった、それらのシーンの印象的なヴィジュアル、出演者の鬼気せまる表情・演技、不気味な音楽、そしてカメラワークの巧みさによる映像美で、ホラー小説の映像化作品として、素晴らしい出来の作品だと感じられた。
   しかし、原作者スティーブン・キングは、その出来に激怒したという。理由は原作とあまりにも違いすぎていたからだ。
   例えば原作小説『シャイニング』では、狂気を生み出しているのはホテルそのものというのが強く、すべてに化学的に説明がつくものではなかった。また息子にしか見えない友人も神秘的存在として描かれる。しかし、映画『シャイニング』だと、狂気の正体がほとんど男にあったり、見えない友人も単なる「イマジナリーフレンド」現象として合理的に処理されてしまった。
   またキングが一番気を悪くしたのが、小説版にあった家族間のドラマ性が映画では薄かったことである。キングは徹底して映画版を批判し、最後は批判をやめることを条件に自身が監督の再映像化作品の製作を交渉するほどであったという。
     キューブリックは『シャイニング』の監督として決して悪かったわけではない。むしろ100テイクを超えるやり直しが複数あったことなど、こだわりにこだわった製作をしていたことがうかがえる。ただ重視する点がキングとは少しずれていただけである。キングも悪くない。2人の優れたクリエイターだっただけに、この対立は不幸だと感じた。
    だからこそ、キングが自身の小説に映画『シャイニング』の名を出したのは意外だった。実はキングもキューブリックの生み出す映像美については認めていたのかもしれないと、その時私は考えたのだ。
    もしそうだとしたらよかったと思う。キューブリックの『シャイニング』をみたら、そう思わずにはいられないのだ。

(2016年2月大学に提出)

映画の感想文の課題でした。提出後にダークタワーの出典を明記するのを忘れたことに気付き、冷や汗をかいたものでした…